さて、研究室の教授の言葉で目が覚めた私。
あの時きっちり叱ってもらえて本当に良かったと思います。
翻訳者になり、チェッカーもやってみてから、ケアレスミスをする翻訳者は評価が低いということが身に染みました。
その理由をまとめてみます。
- ずぼらな人間は信用されない
実際社会に出てみると、実に多くの人が教授と同じことを言うのに気が付きます。「正式な書類で全角と半角の英数字を織り交ぜる人とは一緒に仕事したくない。」
(by 同期出世頭A)
「桁取りを忘れる奴ってなんなの!?エクセルならボタン1つ押すだけだろ!」
(by 金融関連職B)
「データの数字を一度でも間違えた奴の仕事はなんにも信用できない。」
(by 某教授C)などなど。師匠の言葉を借りれば
「バカでもアホでもできるようなことをやれない君が
「私、きっちり丁寧に翻訳します!」
と言って、誰かに信じてもらえると思うかい?まぁ僕なら信じないね。」っていうことです。
- クライアント自身の信用を損なうケアレスミスをしたのは翻訳者でも、納品した文書はクライアントの名前で発表されます。
クライアント自身が「あぁ、こんなくだらないミスをするような人間なんだ」と思われ、そんな人間のした仕事はちょっと信用できないなと評価されます。
彼らがスタイルガイドや数字の間違いに極めて敏感なのは、その事自体が大切だからではありません。
自分の仕事の信頼性が損なわれるのが許せないからです。 - クライアントにとって大切なものを粗末に扱うことになる私は理系に身をおいていたので、実感を持って言えるのですが
理系の人にとってデータは、おそらく文系の人が想像しているよりはるかに大切なものです。研究室の人間には、データは命です。論文は我が子です。
徹夜して、文字通り泣きながら取ったデータなんです。
半年かけてやっと合成した物質なんです。
研究室にほとんど住んでるみたいな生活して、やっと出た成果なんです。それを間違えるような人間に、データを預けたくはありません。
医療系の人間にとって、数字は命に関わることです。
お前の間違いが人を殺すかもしれないと思って、仕事をしろ。
事あるごとにそう言われて仕事をしています。
何度も何度も確認して、プライドと緊張感を持って仕事しています。それを踏みにじるなんて許せません。
少なくとも、数字や単位だけは絶対に間違ってはいけません。
「ケアレスミス」というと大した問題ではないように聞こえますが、改めて考えてみるととても大きな問題ですね。
翻訳者の本来の仕事は、翻訳です。
でも、ケアレスミスが多いとスタートラインにも立たせてもらえない。
それをしっかり心に刻んで仕事をしたいと思います。